私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

【なぜ私はジブリについてのサイトを作ろうと思ったのか】

 私は2005年から「Feel in my bones」と題したブログを書き続けてきている。それ以前は、1999年から「Eyes and Wind」と「第三の私」という表題ウェブ日記を書いていた。この二つは既に削除したが、そこから数え始めると私はウェブ上で14年間文章を書き続けていることになる。

もともと書き始めたのは、ウェブ日記というものが当時のまだあまり一般化していない時代のインターネット上で、とても活発に活動しているコンテンツのひとつだったからだ。ネットをはじめた当時の私はネット上で詩のサイトをやっていたのだが、これは今でもそうだろうけどなかなか読者を集めることは難しい。だからサイトのコンテンツのひとつとしてウェブ日記をはじめて、そこから詩のサイトに来てくれる人を増やそうと思ったのだ。しかし詩を書く熱が冷めてしまって、そうなると文章自体が書く目的になり、書くテーマも一定しないまま、とにかくいろいろと書き続けることになった。

ただ、書くということは私の性に合っていた。性に合っていただけでなく、自分に鋭く、あるいは深く問いを投げざるを得なくなるところがあって、「「より本当の」自分」を求めて時には書き方を全く変えたり、すべてを削除したり、しばらく休みにしたりとじたばたしながら、これだけの間書き続けることになった。

その中でさまざまなものに出会ってきたけれども、2010年に出会った(というかそれまで見ないようにしていたものをついに見てしまった)スタジオジブリ作品、宮崎駿作品は、自分にとってひとことではいいきれないさまざまな思いが生まれてしまう作品群であり、自分にとってそれが何だったのかということをひとことで言いきれないような巨大な作品群であることに何度も何度も気づき、そしてそのたびに認識を更新することになってしまったのだ。

いまこうして敢えてスタジオジブリ作品だけを取り上げるサイトを作ったのも、自分にとって巨大なジブリ作品の意味やその魔力のような魅力を自分自身のために解き明かすとともに、お付き合いして下さる方にも何か残るものを書こうと思ったからにほかならない。

もともとは、今まで書いてきたジブリ作品の感想ブログを少し加工してアップすればいいと思って、割合軽い気持ちで作り始めたのだけど、いざアップするとなると3年前に初めて見て混乱の中で書いているブログの記事をそのままアップしても、とてもではないがまとめたサイトを作る意味がないと思った。それに、折に触れて思いだして書いている記事もかなり多く、そういうものを断片的にそのまま書いても仕方のない面もある。

結局、まずはこんなふうに、自分の中でなぜこのサイトを作るのか、をはっきりさせるための文章がいくつか必要だと思った。自分の中ではっきりさせておかなければ、読んでいただく方に対してはっきりさせることもできないわけで、やはりまずはそういう姿勢をはっきりさせておくためにこの文章を書いているわけだ。

宮崎作品、ジブリ作品は特別だ。それは、私にとってだけでなく、多分日本社会にとっても、ある意味世界の歴史の中で見ても特別の現象である気がする。過去の映画の日本における興行収入ベスト5のうち3作品が宮崎作品だということ。それは経済的なインパクトをそれだけ持ち得るということでもあるが、それだけ見られたということはそれだけ大きな影響を与えたということでもあり、またそれだけ広く受け入れられたということでもある。

しかしこれはとんでもないことでもあると思う。私が2010年の10月に宮崎駿作品をすべて一気に見たのだけど、一番わけのわからない変な世界が描かれているのが『千と千尋の神隠し』だと思った。だから、この作品が宮崎作品の中でも、いや日本の映画史上最も興行収入を上げ、もっとも動員数が多い映画だということを知ったときに呆然としてしまったのだ。

日本人というのは、いったいどういう人たちなのだろう。

ジブリ作品を考えるということは、たぶんそこまでの射程を持ったことなのだ。

そんなことで、そう頻繁に更新できるものでもないとは思うけれども、少しずつこのサイトを作って行きたいと思う。お付き合いくださるとたいへんうれしい。