私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

『美術手帖』:「特集『かぐや姫の物語』の衝撃」は高畑勲の凄さが分かる一冊だった

美術手帖 2014年 01月号 [雑誌]

美術手帖』1月号を買った。これは『かぐや姫の物語』をめぐって、高畑監督自身が画家の奈良美智さん、美術史家の辻惟雄さんと対談しているのを読めたのがよかった。

 

私は一度しかこの映画は見ていないのだけど、いろいろと引用や意図に満ちているだろうなと思っていたのだけど、奈良さんや辻さんなどの見巧者が見ると実にいろいろなものが見えるのだなと感心した。それに対して高畑さんも力を込めてそうなんですよとうなずいていて、読んでいて本当に力強さがある。

 

同じジブリでも宮崎監督の発言はなんだかやはり天才は違うなというか言ってることが支離滅裂っぽくなることもよくあるのだけど、高畑さんの方は全く逆で、極めて冷静沈着。それでいてすごく言葉に力がある。この映画のプロデューサーをした西村さんのインタビューも載っているのだけど、彼が「ジブリはみんな高畑チルドレン」という言葉が、なんかわかる気がした。高畑さんがある種の思想家で、みなはその言葉の方向に活動する活動家みたいな感じのところがある。それだけ、ものすごい教養の量を持っている感じがする。

 

アニメーションとはそもそもどういうもので、どういう方向を目指すというのがあったはずなのに、現実には物理的制約でこういうものになってしまっていて、それがアニメだという感じになっているけど、そこのところから壊してこういう方向もあり得たというものをつくる、という凄く原理主義的な感じになっているところが凄い。たとえて言うなら、「社会主義国」というものが現実には失敗して行って、日本でもソ連や中国を「現存社会主義国」という言い方をし、「本当の」社会主義はもっと違うんだぜ、という感覚があったが、現実の社会主義国が失敗するともうみな社会主義に見向きもしなくなった。しかし高畑さんはそうではなく、「本当の社会主義」でもう一度やり直してみようよ、ということをやっているし、やることの、というかやらせることのできる人であるところが凄い、というような人なのだと思う。

 

奈良さんとの対談で、「かぐや姫が月に帰って、またかぐや姫に憧れて地球に行きたいと願う新たなかぐや姫が現れるんじゃないか」と奈良さんが言うと、「もちろん僕もそう思って作っているんですよ」といったのにはなんか凄いなというか勝てないなと思った。私はジブリになってからの作品で高畑作品は『火垂るの墓』しか見てない、というかほかの三作はDVDで見始めてから途中で見るのを放棄してしまっているのだけど、なぜこの人が作品を作り続けてきたのかということが本当にこの作品ですごく納得できた感じがした。これをつくれるんだからまったく勝てないよ、という感じになった。

 

辻さんとの対談でまず驚いたのは、高畑監督と辻惟雄先生(私は美術史の授業を受けたことがある)は東大駒場寮で同室で、辻さんが1年先輩だったのだそうだ。(高畑さんは仏文)

 

日本の絵巻物の凄さを二人で語るところなどはお互いの教養の深さが炸裂しているし、縁側に座る石作皇子の構図は『源氏物語絵巻』東屋の巻からの引用だとか、御門が往ったり来たりしている場面の背景は『伴大納言絵巻』の昆明池障子だとか、なるほどなあと思うところが多々あった。個人的には高畑さんと辻さん
駒場寮で同室、というのが自分にとってはツボだったのだが。(笑)

 

まだざっと読んだだけなのだけど、高畑勲という人の魅力が大変よくわかる、いい特集だったと思う。高畑という人は現場目線よりも、学問や教養のレベルで語った方が理解しやすい人なんだなと思ったし、そういう意味ではフェリーニなどヨーロッパの監督のことを読みながら何度か思い浮かべたのだった。