私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

『魔女の宅急便』は女の子の感情のリアリティと働くことの大変さを描いた心に強く残る作品だった。

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魔女の宅急便』を、深夜に見始めた。出発の場面から、空に飛び上がってラジオをつけたら荒井由美ルージュの伝言」が流れたところでもうころっとやられた。この曲の使い方がもう最高に上手い。かっこいい。こういう演出を自分もしたい、と思わせられた。それに、私にとって「ルージュの伝言」というのは特別な曲でもある。中学一年のとき、初めて歌手名を意識してユーミンの曲を聴いたのがこの「ルージュの伝言」だったのだ。

 

それまでの日本の歌手にない、斬新な音作りと、独特の声、そしてなんとも日本離れしたアメリカ的なものを感じさせる歌詞。メロディー進行もあっけに取られるような飛び方。「街がディンドン遠ざかって」行ったりしちゃうわけだし。私が始めて音楽をカセットテープに録音したのがたまたまFMで流れていたこの「ルージュの伝言」で、その鮮烈なイメージは今でも忘れられない。鮮烈過ぎて、結局ユーミンのファンにはならなかったけど、好んで聴いたし結婚前の最後のNHKで放送されたコンサートも見た。「恋のスーパーパラシューター」とかすごかったな。

 

ユーミン話になってしまうが、本当は初めて聴いたユーミンの曲は「中央フリーウェイ」だったのだ。この曲もすごい不思議なイメージで、当時の自分の楽典の知識では全然とらえきれない複雑なコードが多用された曲だった。歌手名も最初はわからなかったのだが、ユーミンだと後で気づいてこれにも衝撃を受けた。私は子供のころ中央高速が見える府中の街で育ったので、なんとなく地元のテーマソングみたいな気がして(聴いたときにはもう東京にはいなかったけど)誇らしい気がしたものだった。「右に見える競馬場、左はビール工場」とかね。私の小学校には府中競馬場の厩務員の子供たちとかも同級生にいたし、厩務員住宅に遊びに行ったこともある。競馬場に入ったことは、ついに今まで一度もないけれども。

 

途中でどうにも眠くなってしまったために中断し、起きてから続きを見た。この作品、主人公のキキがいちいち落ち込むので、自分も精神状態があまりよくなかったために同じように落ち込んでしまって、続けてみていられなくなる。少し見ては休み、少し見ては休みという感じでなかなか続けて見られなかった。しかし、午後になってからようやく心の整理が出来たので、最後まで見るつもりで見始めた。

 

女の子の思春期の悩みが描かれているなあと思う。特に、他の作品に比べてリアリティがあるのは、男の子や男性に対してキキが警戒心を持っているところだ。これは宮崎のほかの作品にはあまりないように思う。『トトロ』でサツキがカンタに「男子なんて嫌い!」というところがあったが、あのくらいだろうか。あの男の子に対する警戒心というのは、ある意味日本人の女性作家でないと書けないところがあるんじゃないかという気がする。トンボと仲良くなった海岸の場面で、トンボの仲間たちがやってきてまたイヤな気持ちになってしまうところとか、ああいう女の子の心理の動きにリアルさを感じた。

 

気持ちの盛り上がりと落ち込みの繰り返しがこれだけ描かれたのは宮崎の作品にはほかにないだろうと思う。まあそんなものをこの落ち込んでいるときに見るというのがなんだかある種の天命だとは思うのだけど。しかしやはり落ち込みっぱなしでは辛いので、森に住んでる絵描きの少女・ウルスラがキキの家に訪ねてきてくれたのが、キキにだけでなく、見ている私自身にとってもすごく救いになって、あそこから後は気持ちよく最後まで見られた。

 

最後にトンボの危機を救いにデッキブラシで飛んでいくところなどはいつもの宮崎の元気な女の子になっていて爽快感があった。整合性という点でどうかという気はしなくはないが。最後にユーミンの「やさしさに包まれたなら」。心憎い配曲だ。でも私は、「ルージュの伝言」の使い方のかっこよさの方が好きだなと思う。

 

見終わってみて、この作品が人気があるというのはよくわかった。作品の完成度とかオリジナル性とかそういう客観的な評価でなく、どれだけハートに来たかの基準で言えば、宮崎作品の中でこの作品がトップだったかもしれない。いや、その中には「ルージュの伝言」の使い方とか、そういう要素もあるのだが。

 

この作品が心に残るもう一つの要素は、「働くことって、大変だよね」というものがあることだ。やるべきことが満足に出来なかったり、一生懸命やったのに相手に喜んでもらえなかったりという小さな挫折が常に付きまとう「働くことの大変さ」を乗り越えていく過程に、少しでも仕事というものをしたことがある人なら共感を覚えずにはいられないところがある。思春期の心の動きの珠玉のような美しさとか、働くことの大変さへの共感とか、子どものころに見ていたのではわからないことが大人になってからとてもよくわかるようになる、そんな作品だ。そういう意味では『紅の豚』のように、ある意味大人向けの作品になっているといえなくもない。

 

この作品を見終わったとき、私もこういう作品が書きたい、と思った。読む人の心が解放されて、豊かになって、元気になれる、前向きになれる作品。この世の中にはそういう作品が、もっとあってもいい。そういう作品を書きたいと思った。まあ、それは個人的な話。

 

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この文章は、2010年10月に初めてDVDで『魔女の宅急便』(宮崎駿監督作品)を見た時の文章に、加筆・修正したものです。