私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

養老孟司・宮崎駿『虫眼とアニ眼』は、宮崎駿の危機感の本質が表明された対談だった。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)


大変面白い対談だった。

 

たとえば、「人のせいにするのは都会の人間の特徴」だということ。どういうことかというと、田舎に暮らしていると自然の力でどうしようもないことはいくらでもあって、誰のせいでもなく仕方ない、となるのが、都会だと何か不都合が起こったらそれは誰かのせいだ、ということになるからだというのを読んで、なるほどなあと思った。自分の中に、「誰かのせい」にしないでまあしょうがないよね、みたいなところはかなりあるので、そういう意味では私は多分結構田舎者かもなと思う。

 

関東地方の雑木林が一番美しかったのはそんなに昔のことではなく、実は明治から昭和初期の時代だった、というのもなるほどと思う。東京に薪炭を供給するために人出がいっぱい入ったからなのだそうだ。室町時代にはむしろ禿げ山っぽかったのではないかとか。そういうことってあるだろうなあと思う。常識のウソというか。

 

日本がなぜ暮らしにくいのかという話も面白い。暗黙のルールが幾重にもかかっていて、しかもそれが無意識であると。それがタテに深くつながっていて、今の若い人たちにも受け継がれている、と。これも何となくそんな感じはわかる。

 

そして、宮崎がアニメーションをつくるときの意識の持ち方。

 

宮崎「この子どもたちのためにアニメーションをと思っても、その前に、気の毒だなあ、苦労しそうだなあって思わざるをえない。でもやはりその子たちが生まれてきたことを「間違ってました」とは言えないでしょう。」
 養老「そうですね、言えないですよ。」
 宮崎「生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした。そこで映画を作るしかないと。」

 

この危機感。この前には現代が乱世になりつつあるという話を、911テロや環境問題を背景に語っている。私は正直そこまでの危機感はない、ないというよりそれにすでに慣らされてしまっていて、むしろ米ソ冷戦期の核の恐怖の方がまだ具体的な恐さがあって、現代の危機というものに対してはむしろ狼少年的に「またそんなこと言ってるのか?」というような感じがある。生まれた時から危機だったのに、今更そんなこと気にしても仕方ないじゃん、という感じが正直ある。

 

しかし、そういう危機感はそんなに共有できなくとも、「生まれてきてよかったねって言おう、という点で踏みとどまらなければならない」という感じはすごくわかる。宮崎も堀田善衛司馬遼太郎との対談ではすごく日本嫌いてきな感じを強く出していたのにこの対談になるといま自分たちが何とかしなければならないというふうに、村上春樹とある意味同じようにデタッチメントからアタッチメントへの転換が起こっている感じがする。

 

そして「子ども」に関する以下の考察について、これは根本的に唸らされるものがあった。

 

「子どもたちの心の流れに寄り添って子どもたち自身が気づいていない願いや出口のない苦しさに陽をあてることはできるんじゃないかと思っています。ぼくは、子どもの本質は悲劇性にあると思っています。つまらない大人になるために、あんなに誰もが持っていた素晴らしい可能性を失っていかざるを得ない存在なんです。それでも、子どもたちがつらさや苦しみと面と向かって生きているなら、自分たちの根も葉もない仕事も存在する理由を見いだせると思うんです。」

 

私も似たようなことを考えるところがあるが、この言葉は本当にすごいと思った。子どもの悲劇は、つまらない大人にならなければならないという運命にある。大人になるということはかくも難行なわけで、大人になりたくないとほざいていても面白い大人になれるわけではなく、下手をすればもっともつまらない大人になってしまったりするわけだ。いやいや、なんというかこのあたりのところ、まだ自分の中でもうまくまとまらないところがあるな。そう簡単に結論は出せない。

 

それから、『千と千尋』で、宮崎が一番「嬉しかった」のは、「千が電車に乗っていけた」ことだと言っていて、これは何というかわが意を得たりという感じだった。私もあの映画で一番好きなシーンはあそこなのだ。猥雑な温泉宿から急にピュアな、浅い海を走る乗客がみな影のような存在のあの電車。私はあの場面、森田芳光が撮った『それから』の電車の場面を思い出すのだけど、あの非現実的な感じがとても好きだ。猫バスが好きだということとも関係あるかもしれない。どこか知らない場所に行く電車。子どもが行くところは、常に「どこか知らない場所」なのだ、という子どもの本質。それが「つまらない大人の世界」であることにいつか気がつかなければならないのだけど。