私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

【『もののけ姫』再考:(その2)「生きろ。」というコピーの背後の深い絶望】

もののけ姫

【『もののけ姫』再考:(その2)「生きろ。」というコピーの背後の深い絶望】

 

(その1)からの続きです。

 

私はいろいろな物語を書きたいと思っている。しかし日本の過去の歴史を舞台にした物語を書きたいと思ったことがなくて、そういう意味でも『もののけ姫』をきちんと勉強しようという気持ちがなかった。

 

この「勉強」といういい方は、小澤征爾が自分の指揮する曲の譜面を読みこんでその曲の演奏の仕方を作っていく過程を「勉強」と表現しているのを読んで、それが素敵だなと思ったので、倣ってみたのだけど、もっともっと過去の先行作品の「勉強」が必要だなとこのインタビューを読みながら思った。

 

エヴァンゲリオン」をもう一度見るのはきつそうだが、部分的には気になるところを見返して見るのもプラスになるかもしれない。


もののけ姫』のおおもとになるアイディアを問われて宮崎はこういうふうに応えている。

 

「それともう一つは、人間が人間の存在に疑問を持ち始めたこの時代に、そうした疑問が大人や哲学者の問題じゃなくて、子供たちの中にも本能的に広がっているのを感じて、自分はその疑問についてどう考えているのか答えなければならないと思ったからです。この映画を作った一番の理由は、日本の子どもたちが「どうして生きなきゃいけないんだ」という疑問を持っていると感じたからです。」

 

なるほど、と思う。この宮崎の思いはこの映画のポスターに書かれたコピー、「生きろ。」につながるわけだ。

 

もののけ姫』が作られた90年代後半という時代は『新世紀エヴァンゲリオン』もオンエアされ、阪神大震災が発生し、オウム事件が引き起こされ、酒鬼薔薇事件=バモイドオキ神もあった。人々が人間というものはこういうものだと素朴に信じていた多くの部分が、さまざまな面から崩壊していって、ある人たちにとっては破滅の縁に立たされた時期だったと思う。

 

それは実は私自身にとってもそうだった。もう毎日が生きるか死ぬか、やっとの思いでただ生きて働いていた時期だった。

 

あの当時、私は宮崎駿という人の作品に、いま思うとずいぶん浅いところで(つまりその戦後民主主義性に対して)反発を持っていたために、「生きろ。」というコピーも鼻で笑ってしまっていたところがあった。

 

しかし、私から見て深いところで生きていると感じられる人たちの何人かがこの映画を見て深い感銘ないし衝撃を受けていて、いつか宮崎駿を見るならば『もののけ姫』、と思っていた作品ではあったのだ。

 

言われてみれば当たり前なのだけれど、「生きろ。」という答えの前には「なぜ生きなければならないんだ、生きていたくない」という絶望があるはずなのだ。そして私は、簡単にいえばその絶望を直視したくなかったのだと思う。直視して、そしてその次の日に平気な顔をして出勤する自信が皆無だったからだ。だから何もかも、そういう「絶望を直視する」ことになりそうなものは、完全に拒絶していた。

 

そうだなあ、そういう状況も思いだしてくる。私は結局そういう状況を自分の意地だけで乗り切った、というかもちろん周りで援助してくれる人はいないわけではなかったけれども、自分のその時の感じとしてはそういう援助も溺れる者のつかむ藁であって、誰のどういう援助であったのかとかは十分認識できていなかったりしたのだった。

 

(その3)に続きます。