宮崎駿『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』を読んだ。:「子どもに向かって絶望を説くな」というぶれのなさを感じた。
宮崎駿『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』(岩波新書、2011)。これは宮崎が岩波少年文庫の50冊を上げて、それについての紹介が前半で、後半がそれについて論じるところと、子どもに向けてどんな作品を作ればいいか、どんな作品を読んでもらいたいか、という話があって、基本はやはり「子どもに向かって絶望を説くな」ということだというコメントがやはり宮崎は立派だなというか、ぶれない人だなと思った。
宮崎という人はやはりもの凄く矛盾に満ちた天才だと思うのだが、やはりそこのところだけはぶれてないわけで、自分がいろいろ考えていて迷いにはまったとき、そのぶれなさは一つの灯台のような心強さを覚える。その灯台をたよりにして新しいものを作って行こうという気になれる。そういう人だなと思った。
児童文学は「やり直しがきく話」だ、というのも全くその通りだと思う。そして、何度でもやり直さなければならない現代という時代に、やり直せない話ばかりで袋小路に追い込んでも仕方ないわけで、いまはとにかくトライして行く、何度でもやり直して行く、そういう話が必要なんじゃないかと思った。
そのほか気になったところ、なるほどと思ったところをいくつか。
「不信と依存は同時にあるものだけど、依存を認めなければ子どもの世界を理解したことにはならない。…子どもは賢くもなるけれども何度も馬鹿をやる。繰り返し馬鹿をやる権利を子どもたちは持っている。幼児の世界は特にそうだ。そういう世界をてらいもなしにポンと投げ出すように書いたのが『いやいやえん』だ。」
『いやいやえん』は私も何度も読んだのでなるほどと思う。『ぐりとぐら』は読んでないけど、同じ作者だということはこの本で知った。
「『借り暮らしのアリエッティ』を作ったのは、今や大人たち、いや人間たちが、まるで世界に対して無力な小人のような存在になってしまっていると思ったからです。」
「(震災後)やけくそのデカダンスやニヒリズムや享楽主義は一段と強くなると思います。ぎすぎすするでしょう。…歴史が動き始めたんです。」
「風が吹き始めました。…この風はさわやかな風ではありません。恐ろしく轟々と吹き抜ける風です。死を含み、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。」
『風の谷のナウシカ』の「腐海」の「瘴気」の記述を思い出させる。時代はついにその時代を迎えたという認識が宮崎にあるのだろうか。
それにしても子どもたちは(いやもちろん我々自身も)この時代を生きて行くわけで、その子どもたちに向かって人生は生きるに値する、生まれてきてよかったんだ、と説き続けるのが自分の仕事だと彼は思っていてその考えはぶれることがない。考えてみたら『ナウシカ』というのは本当にそういう話だった。特に漫画版。