『ハウルの動く城』を見た。ソフィーの心の変化に応じて、物語が伸び縮みしているように思った。
一言で言うと、普通にいいファンタジー映画だった、と思った。
Wikipediaをみると、原作とはかなり変えてあるところがあるらしいのだが、宮崎らしい仕上がりに成っているのではないか。
若いソフィーが魔法で急に年を取らされて老人の苦しみを知り、また逆に老人になることで若いときに気にしていたものに囚われなくなる様子など、私などにとってもよくわかる。年を取ることのプラスとマイナスの表現がうまくストーリーに乗っている。
ソフィーが劇中で年を取ったり若返ったり頻繁にすることが全然説明されていないが、ソフィーに関しては魔法を解くとか解かれるということが全然関係なくなっていってしまうのが面白い。『千と千尋の神隠し』までは割ときっちりしていたそういう「お約束」が『崖の上のポニョ』では全く消滅していて面食らったのだが、『ハウルの動く城』でそういう面では既に消え始めていたんだなと思う。
テーマは他にもいくつかある。たとえば「家族」。ハウルとマルクル、それにカルシファー(火)だけの時にはそれぞれ役回りが決まっていたのが、ソフィーがやってきて家族の結束が始まり、それにもと荒地の魔女の老婆とサリマン先生の使い犬のヒンが加わり、ついには悪魔のカルシファーまでが家族になってしまうという展開。やはりそれは家族の中心にソフィーがいるからだ。
ソフィーって、物語によく出てくるお母さん、あるいは長女の役回りなんだけど、こういう存在というのはほっとする。原作ではソフィーも魔法の力を持っているみたいだけど、映画ではそれを曖昧にして、魔力というよりはむしろ愛の力で呪いを解いていくみたいな感じになっているのが宮崎監督の狙いなんじゃないかなと思った。
もう一つは善と悪、契約と自由、みたいな話で、ハウルの心の中に自由で優しいものを見出して心引かれていくソフィーの心に対して、傲慢で小心で気ままな魔法使いハウルが「守りたいもの」を得て「愛する人のために戦う」ように気持ちが変化していったり、子どものハウルが魔法使いになったところに実はソフィーが立ち会っていて、すべての鍵を握っていたのはソフィーであることがわかったり、ソフィーの心の変化に応じて物語が伸びたり縮んだりする感じがする。
すべては心のあり方次第、というのももう一つのメッセージなのかもしれない。
物語の大きな枠は原作に任せて、宮崎監督は自由に場面を作って行っているように思われる。原作ものの方が好きに作れるという面はあるんだろうなと思うけれども、メッセージ性の強さという点では原作から手がけた作品とは違う。まあ情念の込め方が違うし、見るほうもそのぶん楽に見られるということはある。良し悪しはいえないが、原作ものだけでは宮崎監督自身が物足りのではないかと思った。