『火垂るの墓』を見た。(その1)この作品は、苦しんで見るべき作品だと思った。
先ずはっきり書いておきたいのは、この映画は凄いと思う、ということ。一生に一本撮れたら幸せだと思えるような作品だと思うし、今まで見た(というか途中まで見てどの作品も最後まで見ることを放棄しているのだけど)高畑監督の作品の中で間違いなく一番いいと思う。
しかしこんなに見るのが苦しかった作品もここのところなかった。見終って思った第一の感想は、この映画はつまり、「苦しんで見るべき作品」なのだということだった。生きることは苦しみを生きることであり、死ぬことがそのことの救済になる。妹が死に、その幻影が防空壕の外で一人で遊んでいる。その有様はまるで天国を見るようで、まさに彼女は天国にいるのだろう。それを見ているとひとりでに涙が出てくる。それまでの見ることが辛ければ辛かっただけ、その哀しい救いのカタルシスは大きいのだろう。
見ることが辛いのは、どんどん兄と妹が「不幸」になっていくからだ。不幸になりそうなフラグがたち、それが確実に回収されていく。その確実性のやるせなさみたいなものに心をかきむしられてしまう。しかしみていると何で?と思うことがたくさんあるのもまた事実なのだ。
(その2)に続きます。