私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

「千と千尋の神隠し」はどんなふうに生まれたか:スタジオジブリの広報誌「熱風」を読んで

スタジオジブリの広報誌、「熱風」をご存知だろうか。私の周りではツイッターのタイムラインも含めてほとんど話題に上がって来ないのであまり知られていないのではないかと思うが、広報誌なので丸善やジュンク堂、紀伊国屋書店など、ジブリ関連書が常設され…

スタジオジブリの『思い出のマーニー』感想続きです。この映画を必要とする人に伝わりますように。

スタジオジブリの新作映画米林昌宏監督の『思い出のマーニー』感想続きです。 この映画については昨日感想を書いたのですが、そのあといろいろネットで掲載されている感想を読んだり、自分でも何冊か本を買って制作サイドの話などを読んだりして、(映画を見…

スタジオジブリの新作映画、米林宏昌監督の『思い出のマーニー』を見ました!とてもよい映画でした!

スタジオジブリの新作映画、米林宏昌監督の『思い出のマーニー』を見ました! 7月末から公開になっていた映画『思い出のマーニー』。昨日ようやく見に行くことが出来ました。とてもよい映画でした。 以下、内容についても触れていますので、気になる方はご…

スタジオジブリの最新BD、『千と千尋の神隠し』を見ました!赤くない素晴らしい画質で感動しました!

スタジオジブリの最新BD、『千と千尋の神隠し』を見ました! 現在、映画館では、スタジオジブリの最新作、『思い出のマーニー』を上映中ですね。これはまだ見ていないのですが、ブルーレイディスクの新作として、『千と千尋の神隠し』が7月16日に発売されま…

E・T・A・ホフマン(上田真而子訳)『くるみわりとネズミの王さま』(岩波少年文庫、2000)を読んだ。

E・T・A・ホフマン(上田真而子訳)『くるみわりとネズミの王さま』(岩波少年文庫、2000)を読んだ。 これは先日も書いたけれども、スタジオジブリの広報誌『熱風』7月号で取り上げられていたからで、それは長編映画から引退した宮崎駿の引退後初の仕事、「…

『One Piece』の尾田栄一郎さんと宮崎アニメと『くるみ割り人形』。

『One Piece』の尾田栄一郎さんと宮崎アニメと『くるみ割り人形』。 三鷹の森ジブリ美術館で『クルミわり人形とネズミの王さま展〜メルヘンのたからもの〜』をやっているそうです。(5月31日〜来年5月(予定)) 私はスタジオジブリの広報誌「熱風」を定期…

『紅の豚』を観た。大空の深さが感じられる、大人の映画だった。

『紅の豚』を見た。観終わった第一印象は、宮崎にしては珍しい「普通の映画」という感じ。リアリティというかヨーロッパ映画的な手触りの上に、ファンタジー性を盛っている。そのせいなのか、見終わった後の「印象」はかなり強い。波止場に止めた船、あるい…

ナウシカの胸はなぜ大きいのか ー この世界を滅ぼさないために、古き文明を滅ぼす

ネットでいろいろ読んでいたとき、「ナウシカの胸が大きいのはなぜか」というよう話題があって、面白いと思った。 私はナウシカにしろ『ラピュタ』のシータにしろ、胸が大きいのは性別と年齢をあらわす記号くらいに思っていたのだけど(そのとらえ方もよく考…

鈴木敏夫『ジブリの哲学』を読んだ。頭の中に1000の作品を持つこと。

この本を読んだのは2011年のこと。文化の日だった。 ユニバーサルミュージック社長の石坂敬一と鈴木敏夫との対談で、石坂は「音楽産業に従事する人はレパートリーとアーチストに精通していないといけない。頭の中に1000曲持っていろ」ということを言っていた…

マンガ版『風の谷のナウシカ』を読んだ。(2)ナウシカは、風の谷に帰らない。

(その1)からの続きです。 ナウシカはなぜ、「新しい穏やかで優れた人類たちの卵」を虐殺したのか。 単純に考えれば、そんなことは許せない、としか思えない。 しかし、ここではそこに何が表現されているかということを見るべきなんだろうと思う。 私は、…

マンガ版「風の谷のナウシカ」を読んだ。(1)7巻の展開に激しい抵抗を感じた。

2010年の10月、アニメ版の『風の谷のナウシカ』を観たあと、マンガ版の『ナウシカ』7巻を一度に買った。 夜、カフェのレストランで少し読み、家に帰って家事的なことをかたづけながら3巻まで読んだ。起きてから、特急に乗って帰郷するあいだに7巻の途中まで…

『猫の恩返し』を見た。実は好きな作品なのだ。

2010年、スタジオジブリ作品を集中的に見ていた時期に、森田宏幸監督作品『猫の恩返し』を見た。 この作品はスタジオジブリの作品としてはそんなに評価も高くないし、また動員もそれほどではないのだけど、私は割と好きな作品だ。私はもともと、こういう理屈…

私がスタジオジブリの作品を観た方がいいと思ったきっかけ

2008年のことになるけど、『崖の上のポニョ』が公開された後、NHKの『プロフェッショナル』で宮崎駿が取り上げられていた。それまで私はスタジオジブリの映画は一度も見てなかったのだけど、宮崎駿という人に興味が出てきていて、本放送は見たのに再放送…

『火垂るの墓』を見た。(その4)『4歳と14歳で、生きようと思った。』どんな時代も、子どもたちは生きて行くのが大変なのだ。

(その3)からの続きです。 少年が独りよがりで妹を死なせ、自分も死んでしまったこと。この兄妹は不幸な恋人たちのようであったこと。そしてこの出来事は、現代にもつながる出来事であること。 ここに来て初めて、彼らは譲れないものがあった、逆に言えば…

『火垂るの墓』を見た。(その3)「不幸な恋人たち」のような少年と妹。

(その2)からの続きです。 そういうわけで、私はこの主人公の少年に対して、自由であろうとして不幸フラグを次々と立て、それを次々に実現化して行ってしまう何ともやりきれない独りよがりの少年だと思わずにはいられなかったのだけど、それは周りと軋轢を…

『火垂るの墓』を見た。(その2)「意地悪な親戚のおばさん」は本当に意地悪か。

(その1)からの続きです。 この映画は兄と妹の生と死を描いているわけだけど、この少年はすごく独りよがりな部分がある。親戚の家に厄介になっていて、母が死んだと知れるとごくつぶしのみなしごの面倒を見ているというふうに露骨に態度が変わり、結局はそ…

『火垂るの墓』を見た。(その1)この作品は、苦しんで見るべき作品だと思った。

2012年の9月になるが、高畑勲作品『火垂るの墓』を見た。 先ずはっきり書いておきたいのは、この映画は凄いと思う、ということ。一生に一本撮れたら幸せだと思えるような作品だと思うし、今まで見た(というか途中まで見てどの作品も最後まで見ることを放棄…

『ハウルの動く城』を見た。ソフィーの心の変化に応じて、物語が伸び縮みしているように思った。

一言で言うと、普通にいいファンタジー映画だった、と思った。 Wikipediaをみると、原作とはかなり変えてあるところがあるらしいのだが、宮崎らしい仕上がりに成っているのではないか。 若いソフィーが魔法で急に年を取らされて老人の苦しみを知り、また逆に…

宮崎駿が『風立ちぬ』で描こうとしたもの(2)

(その1)からの続きです。 こうした匂いを感じさせるのは、たとえば白洲正子がそうだった。彼女は旧華族家の跳ね返りでどうじたばたしても生きているという実感をつかめずに、親を驚かせる結婚をしたり、女性で初めて能舞台に立ったり、自分が本当に生き切…

宮崎駿が『風立ちぬ』で描こうとしたもの(1)

『風立ちぬ』についていろいろ書きたい、という感じがすごくあるのだが、しかしながら書く材料が不足している、という感じもある。また、まだ公開間もなく見ていない人が多い段階で書くべきでないということもかなりあるし、この意見は納得できないという多…

宮崎駿監督『風立ちぬ』を見た。

宮崎駿監督作品『風立ちぬ』を見た。 『風立ちぬ』を見たのは、公開されて1週間ほどたった平日の朝9時からの回。まだ地元では夏休みになってなかったので、子どもたちもおらず、私が一番若いくらいの年齢構成の客層だった。 以下、そのときの感想。 これは…

宮崎駿『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』を読んだ。:「子どもに向かって絶望を説くな」というぶれのなさを感じた。

宮崎駿『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』(岩波新書、2011)。これは宮崎が岩波少年文庫の50冊を上げて、それについての紹介が前半で、後半がそれについて論じるところと、子どもに向けてどんな作品を作ればいいか、どんな作品を読んでもらいたいか、とい…

鈴木敏夫『映画道楽』

スタジオジブリの鈴木プロデューサーの新刊、鈴木敏夫『映画道楽』(角川文庫、2012)を買った。これは2005年にぴあから発売されていたものの文庫化だとのこと。読みやすいし、いろいろと面白い。鈴木氏の本はどれも面白いので出てるとすぐ買ってしまうのだ…

『もののけ姫』再考:(その5)「子どもたちの冷えた心の闇」への通路と「表現としてのアニメーション」

(その4)からの続きです。 「サンとアシタカは、実は私たちのまわりにいるたくさんの子どもたちの中で精一杯生きているのです。ですから大人たちには分からなかったけど、アシタカがサンに「生きろ」と言った時に、「生きよう」と心に決めた子どもたちがず…

『もののけ姫」再考:(その4)生きるということの大変さは、生きるということそのものの中にある

15世紀、すなわち戦国時代に日本の歴史の転換点があったということは日本史学上いわれていることだが、宮崎はその転換を「産業的な飛躍」ととらえ、そのために「経済成長と同時にひどく無思想な、理想のない行動をたくさんするようになった」のだという。 す…

『もののけ姫』再考:(その3)サンとアシタカの持つ「病のオーラ」と、「なぜサンはアシタカを癒そうとしたのか」

(その2)からの続きです。 それではそうした絶望をこの作中で体現しているキャラクターは誰かと言えば、そんなことは言わなくてもわかると言われるかもしれないが、私はそれがはじめて「サン」であることを認識した。つまり私は「サン」というキャラクター…

【『もののけ姫』再考:(その2)「生きろ。」というコピーの背後の深い絶望】

【『もののけ姫』再考:(その2)「生きろ。」というコピーの背後の深い絶望】 (その1)からの続きです。 私はいろいろな物語を書きたいと思っている。しかし日本の過去の歴史を舞台にした物語を書きたいと思ったことがなくて、そういう意味でも『ものの…

『もののけ姫』再考:(その1)正当に評価されにくい宮崎作品

【『もののけ姫』再考:(その1)正当に評価されにくい宮崎作品 】 『もののけ姫』はジブリ映画で私が最初に見たものなのだけど、最初だけによくわからなくて、イヤにイメージの像の結びにくい複雑な映画だなと思った覚えがある。そういえば借りたDVDが…

『最後の国民作家 宮崎駿』と「宮崎アニメの描く過渡的・奇形的な自然」

3年前、2011年の今頃のことになるが、酒井信『最後の国民作家 宮崎駿』(文春新書)を読んだ。この本は、私に宮崎作品を考える上での、また宮崎の発言を考える上での一つの枠組を提供してくれたなと思う。 今までジブリコーナーなどで立ち読みした『ユリイ…

【「かぐや姫の物語』をめぐる高畑監督と爆笑問題太田の対談は、表現の永遠の課題:作り手としてやりたいように表現するのか、誰にでも分かりやすく表現するのかについての話だった。】

スタジオジブリの広報誌『熱風』が届いた。今回いろいろ考えさせられたのが『かぐや姫の物語』を見た「爆笑問題」の太田光と、高畑勲監督との対談。『かぐや姫の物語』は線で囲って色で塗り籠める「普通の」アニメに対し、ラフな線が動き、すべてを塗り尽く…