私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

スタジオジブリの最新BD、『千と千尋の神隠し』を見ました!赤くない素晴らしい画質で感動しました!

千と千尋の神隠し [Blu-ray]

スタジオジブリの最新BD、『千と千尋の神隠し』を見ました!

現在、映画館では、スタジオジブリの最新作、『思い出のマーニー』を上映中ですね。これはまだ見ていないのですが、ブルーレイディスクの新作として、『千と千尋の神隠し』が7月16日に発売されました。一方、宮崎監督の全11作品、『ルパン3世 カリオストロの城』から『風立ちぬ』までを収めたBD作品集にも、この『千と千尋』は収められています。ですから、『千と千尋』をBDで見るためにはこの二つがあるわけです。

BD-boxと言うのにも魅かれるわけですが(笑)、私はアメブロの『好きなジブリ作品は?』と言うブログネタを書いていたときに『千と千尋』のBDの発売を知りすぐ注文したので、木曜日でしたかに届いたわけです。時間がなくてなかなか見られなかったのですが、昨夜少しだけ見ようと思って夜中に見始め、結局最後まで見てしまいました。

千と千尋』はもともと宮崎作品でも一番好きなものの一つなのですが、改めて見直してみて、と言うだけでなく、BDの圧倒的な画像のキレイさにすごく感動してしまいました。

私はもともとリアルタイムでは映画を見ていないので、初めて見たのがレンタルDVDになるわけですね。もちろんDVDで、小さい画面で見てもこの作品のよさは十分分かるのですが、このDVDは発売されたときに「画面が赤っぽい」と言う評判がネットで立っていました。私は映画を見ていないのでそれは良くわからなかったのですが、確かに全体に赤っぽい印象の映画だなあとは思っていました。

ということもあり、せっかく好きな作品なのでDVDを買うのではなくBDが出るまで待とうと思っていたわけです。ですから逆にいえば待望のBDが出たことを知ったので、すぐに買ったのでした。

しかし、内容はと言えば、全く予想を裏切る素晴らしさで、とても感動してしまいました。

DVDとBDの画質の違いと言うものは、以前はあまり良くわからなかったのですが、昨年『進撃の巨人』のディスクを買っていたときに、最初はDVDで買っていて、途中で間違えてBDを買ってしまったら、その画質がDVDに比べて格段にいい、特に動きの場面がカクカクしなくなると言うことには驚いてしまって、それ以来かならす高くてもBDを買うことにしています。(ですから『進撃の巨人』のコレクションは3巻までDVDと言う中途半端なものになってしまったのですが)

ですからもちろん今回も、DVDよりは画質がいいだろうとは思っていましたけれども、ここまでよくなるとは思いませんでした。

本当に、ひとりひとりのキャラクターの輪郭線がすごくしっかり見えて、背景もくっきりとしています。細かいところがちゃんと見えないなあと言う残念さは『魔女の宅急便』のDVDを買ったときに感じていたので、そのストレスがないと言うことは本当に素晴らしいことだと思います。

私は『千と千尋』のアートアルバムも持っているのですが、このBDを止め絵にした(ポーズをした)ときの美しさは、アートアルバムの中の一ページ出来るくらいで、物語の最初の方、ハクと千尋が息を止めたまま橋を渡りきれないで物陰に走り込んだ時の、紫陽花を背景に二人で話している場面など、美しさに見とれてしまいます。

今回見て初めて気がついた場面もあり、例えばこの場面でハクが千尋の額に手を当てて「ボイラー室へ行って釜爺にここで働かせてくれと頼むんだ」と説明する場面で、額を手に当てることによってその場所のイメージを千尋に見せているんだと言うことを初めて気がつきました。そうなんですよね。いくらハクに説明されて他に手だてがなかったからと言って、ボイラー室に行く危険な道のりをどうしてあそこまで思い切っていくことが出来たのか、見ていて疑問を感じるところがあったので、今その場面を見せる演出に気がついて、そうだったのかと納得しました。

それに、はじめてDVDを見た時は千尋がすぐにぶうたれたり落ち込んだりするのがしょうがないなあとしか思ってなかったのですが、今見ると痩せっぽちの千尋がヒザを抱えてうずくまったり、こわごわ階段を降りていったりするのがすごく魅力的に見えました。千尋なりに怖いのを我慢し、勇気を振り絞ってやっていると言うことが、より鮮明な画像であるために、画像に気を取られずにその本質まで見えるというか、画質がいいということが映画やアニメと言う芸術にとっていかに大事なことかと言うことを改めて思わされました。

もともとジブリの演出、宮崎さんの演出はそういう感情表現について非常に抑制的なんですね。特に『千と千尋』についてそう思います。豚になるほど食べてしまう両親の食べっぷりの浅ましさとか、そういう批評的な見せ方の毒というものはあるのですが、一般のアニメのように感情をそのまま見せると言うことをしていない。それはそうですね、確かにこれだけ怖いこと、勇気を振り絞らなければならない場面の連続では、いちいち怖そうな顔をしていては話にならない。階段が壊れて駆け下りることになってしまう場面など、走る場面では千尋は両手を上げて走っていて、それがすごく子どもっぽく、千尋の幼さが表現されているのがいいなあと思います。

一方ハクの走り方は膝に手を置いて走る、まるで武士ややんごとない人、あるいは能狂言の舞台上の所作のような美しい動きです。このあたり、江戸時代の農民が逃げるときに両手を上げて走っている図であるとか、すごく研究されていると言うことが分かって面白いです。その辺りは『もののけ姫』の頃から特に顕著になっていると思います。考えてみれば、この2作はある意味、『宮崎版時代劇』なのですね。

あとすごく思ったのは、千尋が普段着から油屋(湯屋)での労働着である水干(ですよね)に着替えてから、すごくきりっとした印象になること。制服萌えという言葉がありますが、やはり「働く姿は美しい」と言うことでしょうか、覚悟を決めて働く幼い千尋の姿は、痛々しいと言うよりむしろ魅力的に見えます。

ストーリーの最初のヤマは湯婆婆に油屋で働くことを認めてもらうまでですね。なぜか最初から助けてくれるハクと別れたあと、どういう風に対応されるか分からない釜爺に話しかけ、つけつけしたリンに連れて行かれ、大根の化け物のようなオシラサマにかばわれて、湯婆婆のところへ行き、湯婆婆が坊が泣いているのに手を焼いているスキに何とか働かせてもらうことが出来る。『働かざるもの食うべからず』が鉄則のこの世界と言うものが、ここに再現されていると言うのが面白いなと思います。

この世界で生きる、生き残るためには働かなければならない、というのがまあ本当は私たちの生きているこの世界でもそうなわけですが、それが曖昧になっているために分かりにくくなっているところがある。ここはそういう世界なのだ、と言うことを無前提にひょい、と投げかけているところが宮崎さんの作品の特徴で、そうですね、宮崎さんの作品と言うのはつまり、「世界のありよう」を描くことがその中心にある、と言うことがいえるなと思いました。そのスケールの大きさが、他のアニメとは違うところで、逆にいえばそういう世界を作り出すことに成功したものだけが名作として生き残っているともいえるのだなと思います。

その一方で、釜爺のところで働かされているススワタリたちは、『となりのトトロ』にも出てきていて、宮崎アニメを見てきた人にとってはある意味懐かしい存在。子どもたちも、「あ、ススワタリだ!」と思ったことでしょう。良くわからないものの存在が続いて出てきている中で、日常的な存在ではないのに、親しみを感じさせるものが出て来ることで見ている人に何となくの安心感を与える。緊張してばかりでは疲れてしまいますし、また怖さやドキドキばかりが続くと心が堅くなってしまって新しいものが食べられなくなる感じがありますから、ここでそういうものを出すのはすごく上手いのだなと改めて思いました。リンがススワタリたちにこんぺいとうを撒いてやるところも鯉にえさをやっているみたいで、すごくキレイですね。

いちいちの場面で魅力的なところを上げていくときりがないのですが、(私はこの映画が本当に好きなんだと思います。というかBDで見て本当にそれを再認識しました。)この映画は午前1時から4時頃にかけて、やはり何かの精霊の力が働きそうな時間に見ると、その魅力がさらに高まるように思いました。私はどちらかと言うとこの映画はそういう世界を分かりやすくし過ぎているんじゃないかと言うことを公開の時から危惧していたのですが、昨夜見ていた時はむしろ、分かりやすいと言うよりは肌感覚のようなもので迫って来るところがあって、スピリチュアルな意味でもすごくよく出来た作品なのではないかと言うことを感じたのでした。

それから本編の魅力と言うのと直接関係はないのですが、字幕とか副音声で英語・フランス語・ドイツ語・フィンランド語・韓国語・北京語・広東語(中国語はいずれも繁体字フィンランド語は字幕なし)で見られると言うのも面白いなと思いました。フランス語で少し見たときに、ドラマの最初の方でお父さんが車で山道をぶっ飛ばす場面なんかが、ああこれは実は結構フランス映画の影響なんじゃないかと思ったりしたのでした。ハクと千尋が湯女たちの間をすり抜ける場面で着物の裾が風でめくれ上がるところなんかはマリリン・モンローの「7年目の浮気」ですしね。

だいぶ長くなり、また更新も遅くなってしまいましたが、『千と千尋の神隠し』BD、お好きな方には絶対イチオシだなと思ったのでした!