私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

「千と千尋の神隠し」はどんなふうに生まれたか:スタジオジブリの広報誌「熱風」を読んで

スタジオジブリの広報誌、「熱風」をご存知だろうか。私の周りではツイッターのタイムラインも含めてほとんど話題に上がって来ないのであまり知られていないのではないかと思うが、広報誌なので丸善ジュンク堂紀伊国屋書店など、ジブリ関連書が常設されている大型書店で無料で手に入れることが出来る。ただ、広報誌の中ではかなり人気があるようで、棚に置かれると日を置かずしてなくなることが多い。私も最初は棚を狙っていたのだが、2012年の初め頃から定期購読するようになった。

定期購読は年間2000円と言う費用はかかるが、内容からしたらかなり安い。ときどき思いがけなく心に残る記事があるので、もう4年以上取り続けている。

例えば、先日届いた6月号の特集は「日本人と生活革命」で、冒頭の24ページのインタビューが上野千鶴子さん。私の場合、この方の文章はこういうところで出て来ないと読もうなんて(ほぼ)絶対思わないので、世の中を狭くしないためにも役立つ。宮崎さんをはじめ、ジブリの方々は主張としては左なんだけど、とても穏やかな生の感覚というか、そういうものがその背後に流れていて、掲載されている文章も読んでいて静かに心を動かされる、というようなものが多い。

その中で、2014年の10月から連載が続いているのが「プロデューサー奥田誠治が語る「もうひとつのジブリ史」。休載の月もあるので、2016年6月号が第18回になっている。奥田さんは、日本テレビのプロデューサーとしてジブリ映画の担当を30年間続けたという方で、宮崎監督とも家族ぐるみの付き合いを続けているという方だ。

 

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6月号では、「千と千尋の神隠し」がどのように制作されたか、ということに触れられている。宮崎さんは奥田さんに「千晶の映画をやろうか」と言ったのだそうだ。千晶とは、奥田さんの娘の名前である。

奥田さんの娘の千晶ちゃんと、「江戸東京たてもの園」を舞台にする、ということからこの映画はスタートしたのだそうだ。そして、その途中で「教育上よくない」という理由で主人公の名を「千晶」から「千尋」に変えたのだというのだ。

詳しくは本誌を読んでいただけば良いのだけど、私が一番印象に残ったくだりを書いておきたい。

奥田さんが四歳くらいのときの娘の千晶ちゃんと宮崎監督の山小屋を訪れた際、千晶ちゃんが靴を片方川に落として、奥田さん、宮崎さん、それに鈴木敏夫さんが慌てて追いかけて、必死になって拾ったというエピソードがあり、宮崎さんはそのあまりに小さな出来事から、あの日本で最も興行成績を上げ、アカデミー賞まで取った映画を発想したというのだ。あの、千尋が小さい時に溺れて、ハクに助けられた、あの場面である。あの場面から、すべては始まったのだ。改めて天才とはどういうものかを思い知らされたように思った。

付け加えると、この作品では千晶ちゃんが千尋のモデルになっているだけでなく、父親の奥田さんも千尋パパのモデルになっているという。あの乱暴な運転の仕方、あのダイナミックなものの食べ方は、奥田さんをモデルにしているのだそうだ。こういう話はとても面白いと思う。

千晶さんはもう成人し、社会人として働いているが、「彼女は迷ったり悩んだりするたびに、「千と千尋」を見て、メッセージを受け取って来たと言います。今回、そのことを知って、僕はびっくりしてしまいました。」と奥田さんはいう。これを読んで、本当にいい話だなと思った。

私は読み落としていたのだけど、「熱風」の5月号には、千晶さんの「証言」が10ページに渡って掲載されていたのだ。今読んで、これもとても面白かった。千晶さんは、本当に千尋みたいにおっとりしていて、一生懸命な人。「自分が千尋のモデルと言われてもピンと来ない」と言っている。まさに、千尋ってそういう感じの人だなと思う。

宮崎さんは、「山小屋に来る10歳の小さな友人たちのために作った映画」だと語っていたけど、その「友人」がこの作品をどんなふうに受け取っていたのかがよくわかって、とても素晴らしいと思った。

確かに、良い児童文学というのはそのように作られるのだと。

ジブリ作品とその背景について関心のある方には、この広報誌はお勧め。新しいジブリ作品がなかなか公開されなくてじれったく思っている人にも、こういうものを読んで世界を広げてもらうのもいいんじゃないかという気がする。