私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

【私は『風の谷のナウシカ』を見なかった】

風の谷のナウシカ DVD コレクターズBOX

 

風の谷のナウシカ』をはじめて見たのは、2010年の10月。今から3年前のことだった。私にとって、それが3作目のスタジオジブリ=宮崎駿作品。それまでに見たのは『もののけ姫』と『天空の城ラピュタ』だったが、その2作を見たのも同じ2010年の10月だった。

『ナウシカ』が公開されたのが1984年の3月だったから、私が見るまでに26年も経っている。それまでなぜ見なかったのか、今までいろいろ考えていろいろ書いてみたのだけど、どれもすべてを語っている気がしない。私はSFが好きだったし、核戦争で地球が破滅した後の近未来ものなどは当時マンガを読んでいる人たちにとっては作品のテーマとしてほとんどデフォルトなものだった。

主題歌を作曲した(結局劇中では使われなかったが)細野晴臣の音楽も好きだった。岡林信康―はっぴいえんど細野晴臣鈴木茂松本隆大瀧詠一―ティンパンアレー、イェロー・マジック・オーケストラという系統の音楽には親しんでいたし、ある意味親しみを感じていた。

小学生の頃から、カルピス提供の世界名作アニメはずっと見ていた。高畑勲宮崎駿が関わった作品でも「アルプスの少女ハイジ」、「母をたずねて三千里」は見ている。

考えてみると、1984年3月は自分にとってどん底の時で(どん底の時が多いのだけど)、芝居が上手くいかなくて公演をひとつ潰し、付き合っていた彼女とは別れ、大学にもろくに行っておらず、自分が何をしていいのか全然わからない時期だった。アニメというのは子供向けのものという意識も強く、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の一部での流行にはやや反感を持っていて、おそらくはその延長上で『ナウシカ』も見る気にならなかったのだろうと思う。

本当は、あのときに必要な映画だったのかもしれない、と今書いていてそんな気がしてきた。もしあのとき、『ナウシカ』を見ていたら、そこに何かの啓示を見たのではないか、という気もする。まあ、そこで出会わなかったのもまた運命というものなので、いまさらどうしようもないのだけど、まだ十分に自分の精神が生々しかった時代だから、そこには十分な刻印を残す作品になっただろうと思う。もしそうなっていれば、ラピュタもトトロも全部リアルタイムで見ただろうから、目指す方向がかなり変わっていた可能性もあるような気がする。

しかし、事実として、私はナウシカを見なかった。ラピュタもトトロも、もののけ姫も千と千尋も見ないまま2010年を迎えた。

いつ頃からだっただろうか。宮崎作品は、スタジオジブリの作品は見ない、と決めていたのは。評判になって、見たら面白そうだと思うことがないわけではなかったのだけど、見なかった。いつ頃からだろうか、評判になっているものは評判になっているという理由で見ないようになって行ったのは。

いつ頃からだっただろうか。そういうふうに、自分にブロックをかけることを、自分に禁止事項を与えることを、自分の方向性を定めるためには必要なことなんだと思い込むようになったのは。

私はもともとどちらかというと、いろいろなものに何でも節操無く飛び付く方で、今でも実際にはそうなのだけど、あまりに種々雑多なものが自分の部屋に溢れていて整理のしようがなくて困っている。

ある意味、アートとサブカルチャーの間に垣根を設ける意識があったのだろう。でも実際には、大学に入った頃に高野文子の『絶対安全剃刀』が自分の中でバイブルになっていて、マンガに関して、とくに80年代以降のニューウェーブ作家たちに関しては、読むべきものであり続けた。だから実際には、そんな垣根というものにあまり意味はなかった。あまり意味のない垣根に拘泥していたのは、そういうところに拘泥すること自体が(あまりよくないことだが)アイデンティティになっていた部分があったからだろう。

一度そんなふうになってしまうと、それを手放すと自分が自分でなくなってしまうような気がしてしまう。当時の自分は、そういう「偽物のアイデンティティ」のようなものをたくさん持っていて、どれが「本当の自分」なのか、分からない状態になっていたのだなあと思う。

そんな私が、初めて宮崎作品を見たのが2010年の10月、それが『もののけ姫』だった。そしてそれから2週間で宮崎駿原作・監督作品をすべて見て、その月のうちに監督作品をすべて見終えていた。自分の中で何かが爆発した。あまりにも、自分が求めていたものに近いものが、そこにあるように思ったからだ。