私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『魔女の宅急便』は女の子の感情のリアリティと働くことの大変さを描いた心に強く残る作品だった。

『魔女の宅急便』を、深夜に見始めた。出発の場面から、空に飛び上がってラジオをつけたら荒井由美「ルージュの伝言」が流れたところでもうころっとやられた。この曲の使い方がもう最高に上手い。かっこいい。こういう演出を自分もしたい、と思わせられた。…

『耳をすませば』:日本が豊かだった時代へのノスタルジー/女子の中学生精神、男子の中学生精神

以下の感想は2010年の10月に初めてこの作品を見たときのもの。今では『耳すま』はジブリ作品の中でも一番好きなもののひとつなのだが、当時は見たばかりで、新鮮な感動が残っているように思う。 *** 見終わってみると、最初に思った通りだといえばそうなのだ…

宮崎駿はなぜ無敵なのか

宮崎駿のインタビューとか、鈴木敏夫のインタビューを読んで、一晩寝て起きて寝起きの頭に啓示のように降りてきたのが、「言いたいこと、あるいは言わなければならないこと(つまり使命とか理想とか)を言うためにやりたいこと(つまりアニメ作りやそれに伴…

『千と千尋の神隠し』再考:カオナシとは誰のことか――あなたの闇の葬り方

宮崎駿の映画には、初期には「悪役」が出て来るが、トトロ以後ははっきりとした悪役というのは出て来なくなる。だから悪役として明確に意識できるのはナウシカのクロトワとラピュタのムスカくらいなものだ。ジブリ映画で好きなキャラクターベスト10みたいな…

『ジブリの教科書3 となりのトトロ』を読んだ。

文春文庫から、『ジブリの教科書』のシリーズが出ている。風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタに続いて昨年の7月には『となりのトトロ』が出た。2014年1月現在、第4集の『火垂るの墓』まで出ている。今日はこの本について書きたい。 『ジブリの教科書3 と…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、どこまでも味わい尽くしたくなる映画だった。(その6・終)

(その5)から続きます。 映画が終わり、クレジットが流れる中、二階堂和美の『いのちの記憶』が流れる。この曲は、まるでこの映画を長い長い歌、長歌であるとすると、その反歌のような曲だ。「あなたに触れた喜びが」で始まる歌詞は、先ず私が思い起こした…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(その5)

(その4)からの続きです。 月への帰還を前に、都を抜け出した姫は田舎の懐かしい道をたどり、そこで思いがけず大人になった捨丸に再会する。姫は捨丸に「あなたと生きることができたら」と言い、その思いを自らも伝えた捨丸と二人で空を飛ぶ場面。ここまで…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(その4)

(その3)からの続きです。 かぐや姫は幻想か現実か定かでない中で懐かしい場所を訪ね、そこにはもう誰もおらず、二度と木地師の子どもたち、(なかでも慕っていた捨丸)に会えないということを知る。それからかぐや姫はおとなしく周りのいうように「高貴な…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(その3)

(その2)からの続きです。 まさに「生きたいように、生きている」日々を送っていたかぐや姫は、「誰もが憧れる都の暮らし」をさせてやろうという翁の願いによって都に出ることになる。 かぐや姫と翁と媼は都に出て大きな屋敷に住み、相模という家庭教師を…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(その2)

(その1)からの続きです。 この映画がどういう映画であったか、というのを説明するのは難しい。つまり、こういう映画だったと説明しにくい映画なのだ、という言う意味で、味わい尽くしたくなる映画だ、というのが最もぴったりくる感じがする。 もちろん、…

『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(その1)

あけましておめでとうございます。ことしも『私のジブリ・ノート』をよろしくお願いします。 今回のエントリは長いので、何回かに分けて掲載することにしました。 少し前になるが、高畑勲監督『かぐや姫の物語』を見た。見たときから一晩考えたのだけど、こ…