私のジブリ・ノート

私が初めてジブリ作品を見たのは2010年。最初の2週間で宮崎作品を全て見た。何かが爆発した

『最後の国民作家 宮崎駿』と「宮崎アニメの描く過渡的・奇形的な自然」

最後の国民作家 宮崎駿 (文春新書)

 

3年前、2011年の今頃のことになるが、酒井信『最後の国民作家 宮崎駿』(文春新書)を読んだ。この本は、私に宮崎作品を考える上での、また宮崎の発言を考える上での一つの枠組を提供してくれたなと思う。

 

今までジブリコーナーなどで立ち読みした『ユリイカ』の特集などはみな主観性が強すぎて、好きか嫌いかという話になってしまっているのが多く、そんなもの読まされてもこっちは何の意味もないという感じがしていた。

 

この本は「宮崎アニメを熱烈に支持した最初の子どもであり、国民的な存在になったときに思春期を迎えた最初の青年だったという世代」の作者が「なぜ宮崎アニメは国民的な存在になったか」を考察していく客観性に満ちた本で、そこに展開される分析がすべて妥当なものかどうかはともかく、一つの仮説としての理解の枠組を提供してくれているのは大変ありがたいと思った。宮崎は作品を分析されるだけの存在ではなく、それを受け入れた日本社会とのかかわりの中で考察されるべき部分がやはりあるのだと思う。

 

そして、宮崎自身がそういう日本社会とか日本の自然とかにすごく目を向けていてさまざまな意見を現に発信している存在でもあるということもすごく大きい。オーソドックスな意味で彼はある意味社会を「導いて」いる、つまり指導者の一角にいる部分がある。本人は強く否定するだろうけど、思想を発信するということは必然的にそういうことになる。

 

しかしその発信される「思想」=物語はディズニーのようにストーリー先行ではなく、また他の多くの日本のアニメのようにキャラクター先行でもなく、むしろその背景に描かれている「もの」であり人々の「仕事」であり、「風景」であるというのが酒井の主張で、これは宮崎やジブリの作品の本質をよくつかんでいると思う。言われてみればあまりにその通りの素直な受け取り方だなと思うのだけど。

 

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その中で、特に『自然』あるいは『風景』の描きかたについての議論に注目してみた。

 

ものがどういうものとして存在するか、人が人としてどういう営為をするか。そして自然と人間のぶつかり合いとして生まれるところ、その最前線の戦いの場である「郊外」を中心とした風景とかがどうあるかということについて著者は書いている。

 

「存在」「営為」「自然と人間のせめぎあいの場」といったことがそのまま宮崎のテーゼとして提出されていると作者はいう。『となりのトトロ』は単なる自然礼賛の話ではなく、人間の手が入ることによって奇形化した存在であり、それが猫バスに現れている、というのは結構シビアな指摘だと思った。

 

化け猫も、水木しげる的な古怪な妖怪ではなく、化け猫さえバスに化けるのが昭和という時代なんだ、という宮崎自身の言葉。だからあの話は昭和30年代の話であって、明治やそれ以前にはあり得ない話なのだ、そういう意味で過渡期の話であり、その過渡期の延長上にある現代という時代性を切り取っている、というのはなるほどと思った。

 

一番うーんと思ったのが、宮崎が高畑勲の『おもひでぽろぽろ』における農村の描き方を批判しているところだ。「農村の風景は百姓が作った」という言葉を、「日本共産党の宣伝カットみたいだ」と切って捨てている。文明と自然は容易に和解出来ない、という認識を宮崎は強く持っている。それは『ナウシカ』にも『もののけ姫』にも強く現れているが、実は『トトロ』からそうだったのだ。

 

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我々の自然は、もはや太古の自然と同じではあり得ない。その痛切さが描かれたのが『もののけ姫』だった。その自然がさらに失われていくと現代の少し前の『トトロ』になり、壊滅的に失われ、しかしその中で徹底的に奇形化すると『ナウシカ』の腐海になる。宮崎の描く自然は、考えてみるとある種の呪詛だ。

 

しかし、その滅び行くものたち、奇形化していくモノたちを、宮崎は切り捨てては行けない、愛そうとしているように思える。『耳をすませば』の街並も、駅前やコンビニのごみごみした風景を、それはそれで愛着を持てるように描いていたように思う。

 

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ナウシカ」でも、特にマンガ版の方では、作中の放射能にけがされた世界を愛し、清浄な未来のための種子を虐殺すると言う究極の選択をとる。清浄な種子たちが復活したら、けがされた作中の生き物たちは、滅ぼされるしかないからだ。そこまで宮崎は、今生きている、それがどんな奇形的なものであっても、その生命を愛したいと言う強いテーゼがあるのだ。

 

彼にとって自然とか風景というものは、そういうせめぎ合いの中にある、愛憎相半ばする、そのことを考えていると疲れ果ててしまうような存在であるから、農村の風景を能天気に『自然と人為の調和』であり『百姓が作った風景』であると礼賛する高畑の姿勢に強く反発を感じたのだろう。

 

かぐや姫の物語』と『風立ちぬ』の比較でも思ったが、高畑は先に結論があり、そこまでのストーリーをどう描くかということの中にものすごくやりたいことがあるわけで、いわば物語から絵が紡ぎだされている。それはスタティックな作り方だと言っていいだろう。しかし宮崎の場合はそうではなく、絵を描く中でストーリーが紡ぎだされていく、つまり絵から物語が紡ぎだされるという、ダイナミックな作り方をしているのだ。

 

だから描かれている風景そのものが宮崎に呼びかけてきて、その呼びかけに宮崎はなんとかして答えようとする。描かれている風景、描かれている自然、描かれている街並、そういうものが呼びかけているものの中から物語が生まれ、またそれの持つ力によって簡単に物語がねじ曲げられたりしてしまうのだ。

 

高畑勲という人は、頭脳明晰で、大変頭のいい人だと思う。そして様々なことをよく知っていて、それをふんだんに表現に生かしている。宮崎駿という人は、自然や風景が憑依した職人みたいなもので、物語がどう作られるかは絵がどう描かれるかにかかっている、というところがある。

 

そして、その風景や自然は、実は多くの日本人の中に生きている。肯定したり否定したりしながら、それでも無意識のうちに持っているその過渡期の、人と自然とのせめぎ合いの中にある風景や自然に対して、愛着を持っているのだ。それらを精密に描き、それらの語るものの中から紡ぎだされる物語を聞かせてくれる。それは、今のところ多分宮崎駿にしかできていないことなのではないかという気がする。

 

例えば国民作家であるというのは、宮崎の場合、そういうことができることでもあるのだろう。

 

多くの日本人は、自然の変化していく有様や風景のごたごたぶりに違和感を持っている。違和感を持ちながら愛している。それは全肯定したくはないが、全否定もしたくない。

 

 

その愛憎相半ばぶりがそのまま描かれているからこそ、宮崎の描く自然は美しく、また物語は懐かしいのだろうと思う。

【「かぐや姫の物語』をめぐる高畑監督と爆笑問題太田の対談は、表現の永遠の課題:作り手としてやりたいように表現するのか、誰にでも分かりやすく表現するのかについての話だった。】

かぐや姫の物語 ビジュアルガイド (アニメ関係単行本)

 

スタジオジブリの広報誌『熱風』が届いた。今回いろいろ考えさせられたのが『かぐや姫の物語』を見た「爆笑問題」の太田光と、高畑勲監督との対談。『かぐや姫の物語』は線で囲って色で塗り籠める「普通の」アニメに対し、ラフな線が動き、すべてを塗り尽くさないアニメーションであるわけだが、塗り尽くしたアニメよりもむしろそちらの方が返って実感が感じられる、ということについて話していた。この辺りのことは今までもいろいろな場所で語られてきたことなので、ああ太田もこの話をしているのだなと思ったのだけど、そこから敷衍して演技論に行ったのが面白かった。

 

「実感を伝える」ためには、『どの程度芝居をするのがいいのか』という話だ。私も芝居をやっていたので共感できるのだけど、演技は分かりやすく大げさにやればいいというものではない。

 

例えば朗読のとき、どこまでリアルにすればいいか。棒読みではつまらないし素っ気ないが、リアルに強調しすぎてもつまらない。伝えたいのは本物ではなく実感だから、どうやればそれが伝わるのかるのが難しい。そして、それは見る側の想像力、感じる力をどう考え、どうとらえるかと言う問題でもある。

 

高畑監督は『娯楽映画としてのアニメーション』なのだから、分からない、伝わらないということがあったら作り手が至らぬせいだ、と言っているのはちょっとへえっと思ったが、確かに『かぐや姫の物語』は高畑監督の作家性が存分に発揮されているとは思うけれども、それでもやはりどんな人が見ても感動するものに仕上がっていたと思う。やはりそこのところをちゃんと考えているのだなということは改めて思った。

 

この辺は書きながら、今の私で言えば、ブログの書き方の問題と同じだなと思った。このブログなどは、割合素っ気ない書き方で書いている。これは例えば、棒読みに近い朗読のような、分かる人は分かるだろうと言う感覚に基づく書き方だ。しかし例えばアメブロで書いている『個人的な感想です』などではなるべく丁寧に、ここまで書かなくても伝わるんじゃないかと思っても、より徹底的に分かりやすく書くことを心がけている。

 

どの辺りを正解と考えるかは、なかなか難しい。内容にもよるのだと思う。しかし私もなんと言うか、なるべく表現を切り詰めていきたいという傾向があって、より素っ気なく書いても伝わるように書いてみたいと言う気持ちもある。しかし実際のところは、自分ではくどすぎると思うくらいに書く方が、受け取る方にはちょうどくどくも素っ気なくもない感じになっているのかな、という印象が今はある。自分と同じ前提を共有している人はあまりいないのだから、説明しすぎてし過ぎなことはないのが実際のところかもしれないと思う。

 

高畑監督は、素っ気ないと思われそうな線のアニメーションでくどくなく実感を持たせるということを実現させているわけで、それを太田は絶賛しているのだ。やりたいことをやりながら、多くの人に見てもらい、興行的にも成り立たせる。それはある種の神業だが、というか結果的にはなかなか興行的に成り立つというには無理がある制作費がかかってはいるのだけど、動員という点ではかなりの成績を出しているのは凄いと思う。

 

私の文章もこの8年越しの作品並みにするのは難しいけれども、まだまだ工夫の余地はあるなと思った。

 

 

それは表現というものがいつもぶつかる、普遍的な課題の一つなのだと改めて思ったのだった。

養老孟司・宮崎駿『虫眼とアニ眼』は、宮崎駿の危機感の本質が表明された対談だった。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)


大変面白い対談だった。

 

たとえば、「人のせいにするのは都会の人間の特徴」だということ。どういうことかというと、田舎に暮らしていると自然の力でどうしようもないことはいくらでもあって、誰のせいでもなく仕方ない、となるのが、都会だと何か不都合が起こったらそれは誰かのせいだ、ということになるからだというのを読んで、なるほどなあと思った。自分の中に、「誰かのせい」にしないでまあしょうがないよね、みたいなところはかなりあるので、そういう意味では私は多分結構田舎者かもなと思う。

 

関東地方の雑木林が一番美しかったのはそんなに昔のことではなく、実は明治から昭和初期の時代だった、というのもなるほどと思う。東京に薪炭を供給するために人出がいっぱい入ったからなのだそうだ。室町時代にはむしろ禿げ山っぽかったのではないかとか。そういうことってあるだろうなあと思う。常識のウソというか。

 

日本がなぜ暮らしにくいのかという話も面白い。暗黙のルールが幾重にもかかっていて、しかもそれが無意識であると。それがタテに深くつながっていて、今の若い人たちにも受け継がれている、と。これも何となくそんな感じはわかる。

 

そして、宮崎がアニメーションをつくるときの意識の持ち方。

 

宮崎「この子どもたちのためにアニメーションをと思っても、その前に、気の毒だなあ、苦労しそうだなあって思わざるをえない。でもやはりその子たちが生まれてきたことを「間違ってました」とは言えないでしょう。」
 養老「そうですね、言えないですよ。」
 宮崎「生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした。そこで映画を作るしかないと。」

 

この危機感。この前には現代が乱世になりつつあるという話を、911テロや環境問題を背景に語っている。私は正直そこまでの危機感はない、ないというよりそれにすでに慣らされてしまっていて、むしろ米ソ冷戦期の核の恐怖の方がまだ具体的な恐さがあって、現代の危機というものに対してはむしろ狼少年的に「またそんなこと言ってるのか?」というような感じがある。生まれた時から危機だったのに、今更そんなこと気にしても仕方ないじゃん、という感じが正直ある。

 

しかし、そういう危機感はそんなに共有できなくとも、「生まれてきてよかったねって言おう、という点で踏みとどまらなければならない」という感じはすごくわかる。宮崎も堀田善衛司馬遼太郎との対談ではすごく日本嫌いてきな感じを強く出していたのにこの対談になるといま自分たちが何とかしなければならないというふうに、村上春樹とある意味同じようにデタッチメントからアタッチメントへの転換が起こっている感じがする。

 

そして「子ども」に関する以下の考察について、これは根本的に唸らされるものがあった。

 

「子どもたちの心の流れに寄り添って子どもたち自身が気づいていない願いや出口のない苦しさに陽をあてることはできるんじゃないかと思っています。ぼくは、子どもの本質は悲劇性にあると思っています。つまらない大人になるために、あんなに誰もが持っていた素晴らしい可能性を失っていかざるを得ない存在なんです。それでも、子どもたちがつらさや苦しみと面と向かって生きているなら、自分たちの根も葉もない仕事も存在する理由を見いだせると思うんです。」

 

私も似たようなことを考えるところがあるが、この言葉は本当にすごいと思った。子どもの悲劇は、つまらない大人にならなければならないという運命にある。大人になるということはかくも難行なわけで、大人になりたくないとほざいていても面白い大人になれるわけではなく、下手をすればもっともつまらない大人になってしまったりするわけだ。いやいや、なんというかこのあたりのところ、まだ自分の中でもうまくまとまらないところがあるな。そう簡単に結論は出せない。

 

それから、『千と千尋』で、宮崎が一番「嬉しかった」のは、「千が電車に乗っていけた」ことだと言っていて、これは何というかわが意を得たりという感じだった。私もあの映画で一番好きなシーンはあそこなのだ。猥雑な温泉宿から急にピュアな、浅い海を走る乗客がみな影のような存在のあの電車。私はあの場面、森田芳光が撮った『それから』の電車の場面を思い出すのだけど、あの非現実的な感じがとても好きだ。猫バスが好きだということとも関係あるかもしれない。どこか知らない場所に行く電車。子どもが行くところは、常に「どこか知らない場所」なのだ、という子どもの本質。それが「つまらない大人の世界」であることにいつか気がつかなければならないのだけど。

『紅の豚』は『風立ちぬ』につながる、死者を追慕しつつ生きることを選択する、宮崎監督の大人のアニメだった。

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紅の豚』を見た。観終わった第一印象は、宮崎監督にしては珍しい「普通の映画」という感じ。リアリティというか、ヨーロッパ映画的な手触りの上にファンタジー性を盛っている。そのせいなのか、見終わった後の「印象」はかなり強い。波止場に止めた船、あるいは飛行艇に寄せる波の音が聞こえてきて、大空の深さが見える気がする。観終わった後に何か考えてしまう他の作品とは一線が画されている感じがする。

 

カサブランカ』のボギーみたいなせりふがいくつもあって、ヒロインのジーナは美人。声は加藤登紀子で、歌も歌っている。宮崎監督が豚にこだわっているのは、自らの何かの部分をこの動物が担っているということなのだと思う。宮崎監督は、たぶん自分が一番自然に描けるものを描いたのではないだろうか。ウィキペディアを見ると宮崎監督はそういうものを描いてよかったのかどうかと悩んだようだったが。ポルコは宮崎監督自身のある種の理想像だろう。『カサブランカ』のパターンを使って、ボギーとバーグマンの役柄を入れ替え、ヒロインのジーナが酒場を経営している。

 

一番いいと思った場面は、空にたなびく飛行機雲に見えたものが、たくさんの飛行機の「墓場」だったところだ。まさに「雲の墓標」。飛行機・飛行艇乗りの魂は大空の一番高いところに還っていく。天空にある魂の故郷。実写では表現しにくい場面だなと思う。「ここでは人生はあなたのお国よりももう少し複雑なの」とアメリカを揶揄しているけれども、実際にはヨーロッパを舞台にしたハリウッド映画的な感じもある。

 

脇役たち、空賊とか、もう一人のヒロイン・フィオとかは見事に宮崎アニメの登場人物で、その二つの合体でできている、大人のファンタジー。『崖の上のポニョ』のグランマンマーレが宮崎作品ではみたことのない美人さんだと思ったが、すでにここで出ていたのだ。

 

大人向けの作品なので、物語の枠が一番緩やかで、縛りが弱い感じがする。どんなふうにでも想像自由な感じがするところがのびやかでいい。他のアニメもそうだが後日譚は描かないのであとが知りたいという気持ちが残り、映画への関心が持続する感じがする。

 

大人のアニメということで、やはり一作だけ特異な感じがするけれども、逆にこの地点があるから宮崎ワールドの底の知れなさというか、奥深さを見ることが出来もするし、ああ、こういうものもつくるんだなあということでなんだか安心感もあるなと思った。

 

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この文章は、2010年10月にこの作品を初めて見たとき「Feel in my bones」に書いた感想に加筆・修正したものです。

 

2014年2月の現在から見ると、宮崎監督の「最後の作品」が『風立ちぬ』という飛行機設計者を描いた作品だったことは、とても印象的です。

 

空で死んでいったものへの限りない哀惜と追慕、それでも地上で生きなければならないという定めの自覚。こんなものをつくっていいんだろうかという迷いから、こういうものがつくられなければならなかったんだというある種の突き抜け。この二作品を並べてみることで見えてくるものがあるように思いました。

 

風立ちぬ (ロマンアルバム)

『魔女の宅急便』は女の子の感情のリアリティと働くことの大変さを描いた心に強く残る作品だった。

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魔女の宅急便』を、深夜に見始めた。出発の場面から、空に飛び上がってラジオをつけたら荒井由美ルージュの伝言」が流れたところでもうころっとやられた。この曲の使い方がもう最高に上手い。かっこいい。こういう演出を自分もしたい、と思わせられた。それに、私にとって「ルージュの伝言」というのは特別な曲でもある。中学一年のとき、初めて歌手名を意識してユーミンの曲を聴いたのがこの「ルージュの伝言」だったのだ。

 

それまでの日本の歌手にない、斬新な音作りと、独特の声、そしてなんとも日本離れしたアメリカ的なものを感じさせる歌詞。メロディー進行もあっけに取られるような飛び方。「街がディンドン遠ざかって」行ったりしちゃうわけだし。私が始めて音楽をカセットテープに録音したのがたまたまFMで流れていたこの「ルージュの伝言」で、その鮮烈なイメージは今でも忘れられない。鮮烈過ぎて、結局ユーミンのファンにはならなかったけど、好んで聴いたし結婚前の最後のNHKで放送されたコンサートも見た。「恋のスーパーパラシューター」とかすごかったな。

 

ユーミン話になってしまうが、本当は初めて聴いたユーミンの曲は「中央フリーウェイ」だったのだ。この曲もすごい不思議なイメージで、当時の自分の楽典の知識では全然とらえきれない複雑なコードが多用された曲だった。歌手名も最初はわからなかったのだが、ユーミンだと後で気づいてこれにも衝撃を受けた。私は子供のころ中央高速が見える府中の街で育ったので、なんとなく地元のテーマソングみたいな気がして(聴いたときにはもう東京にはいなかったけど)誇らしい気がしたものだった。「右に見える競馬場、左はビール工場」とかね。私の小学校には府中競馬場の厩務員の子供たちとかも同級生にいたし、厩務員住宅に遊びに行ったこともある。競馬場に入ったことは、ついに今まで一度もないけれども。

 

途中でどうにも眠くなってしまったために中断し、起きてから続きを見た。この作品、主人公のキキがいちいち落ち込むので、自分も精神状態があまりよくなかったために同じように落ち込んでしまって、続けてみていられなくなる。少し見ては休み、少し見ては休みという感じでなかなか続けて見られなかった。しかし、午後になってからようやく心の整理が出来たので、最後まで見るつもりで見始めた。

 

女の子の思春期の悩みが描かれているなあと思う。特に、他の作品に比べてリアリティがあるのは、男の子や男性に対してキキが警戒心を持っているところだ。これは宮崎のほかの作品にはあまりないように思う。『トトロ』でサツキがカンタに「男子なんて嫌い!」というところがあったが、あのくらいだろうか。あの男の子に対する警戒心というのは、ある意味日本人の女性作家でないと書けないところがあるんじゃないかという気がする。トンボと仲良くなった海岸の場面で、トンボの仲間たちがやってきてまたイヤな気持ちになってしまうところとか、ああいう女の子の心理の動きにリアルさを感じた。

 

気持ちの盛り上がりと落ち込みの繰り返しがこれだけ描かれたのは宮崎の作品にはほかにないだろうと思う。まあそんなものをこの落ち込んでいるときに見るというのがなんだかある種の天命だとは思うのだけど。しかしやはり落ち込みっぱなしでは辛いので、森に住んでる絵描きの少女・ウルスラがキキの家に訪ねてきてくれたのが、キキにだけでなく、見ている私自身にとってもすごく救いになって、あそこから後は気持ちよく最後まで見られた。

 

最後にトンボの危機を救いにデッキブラシで飛んでいくところなどはいつもの宮崎の元気な女の子になっていて爽快感があった。整合性という点でどうかという気はしなくはないが。最後にユーミンの「やさしさに包まれたなら」。心憎い配曲だ。でも私は、「ルージュの伝言」の使い方のかっこよさの方が好きだなと思う。

 

見終わってみて、この作品が人気があるというのはよくわかった。作品の完成度とかオリジナル性とかそういう客観的な評価でなく、どれだけハートに来たかの基準で言えば、宮崎作品の中でこの作品がトップだったかもしれない。いや、その中には「ルージュの伝言」の使い方とか、そういう要素もあるのだが。

 

この作品が心に残るもう一つの要素は、「働くことって、大変だよね」というものがあることだ。やるべきことが満足に出来なかったり、一生懸命やったのに相手に喜んでもらえなかったりという小さな挫折が常に付きまとう「働くことの大変さ」を乗り越えていく過程に、少しでも仕事というものをしたことがある人なら共感を覚えずにはいられないところがある。思春期の心の動きの珠玉のような美しさとか、働くことの大変さへの共感とか、子どものころに見ていたのではわからないことが大人になってからとてもよくわかるようになる、そんな作品だ。そういう意味では『紅の豚』のように、ある意味大人向けの作品になっているといえなくもない。

 

この作品を見終わったとき、私もこういう作品が書きたい、と思った。読む人の心が解放されて、豊かになって、元気になれる、前向きになれる作品。この世の中にはそういう作品が、もっとあってもいい。そういう作品を書きたいと思った。まあ、それは個人的な話。

 

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この文章は、2010年10月に初めてDVDで『魔女の宅急便』(宮崎駿監督作品)を見た時の文章に、加筆・修正したものです。

『耳をすませば』:日本が豊かだった時代へのノスタルジー/女子の中学生精神、男子の中学生精神

耳をすませば [DVD]

 

以下の感想は2010年の10月に初めてこの作品を見たときのもの。今では『耳すま』はジブリ作品の中でも一番好きなもののひとつなのだが、当時は見たばかりで、新鮮な感動が残っているように思う。

 

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見終わってみると、最初に思った通りだといえばそうなのだけど、予想していたよりはかなり面白かったし、いろいろ思うことがあった。時代のことと、自分自身に関連したことで。

 

中学生のじゃれあい方は自分たちのころとそんなに変わらないよなあと思う半面、自分の進路のことについてあんなにまっすぐに考えられるというのはすごいなと思った。しかし、岡潔も言っているように、本当に自分の進路を決めるのは14~15歳に興味を持ったことだ、というのは私もそう感じるところがあるので、こうあるべきだったんだなあとは思う。進路は、大人になる前に決めた方がいいんだと思う、本当は。

 

全体に、すごくノスタルジックな感じがした。それは、「中学生」というある種コアな時代への懐かしさ、後悔、悔恨、恥ずかしさ、そういうものだけでなく、まだ日本が繁栄を謳歌していた、本当はもう崩れ始めていたけどまだ残光が残っていた90年代中ごろという時代に対するノスタルジーをすごく感じたのだ。もっと率直にいえば、「日本が豊かだった時代」へのノスタルジーだ。ヴァイオリン製作者の道を志す中学生男子と、それに刺激されて物語作家を目指す中学生女子。そして、お互いに負けたくない、お荷物になりたくない、力になりたいと思う、「お互いに相手を高め合う恋愛」が語られていた時代。最後に「結婚しよう」、と誓い合うのはまあご愛敬だと思うが、何と言うかまだ日本の未来が自然に明るくなっていく、そういう根拠のない明るさのようなものがすごく懐かしく感じられた。

 

95年の私はといえば、まあそんなどころではない悪戦苦闘の先が見えない時期だった。そんな時にこういう明るい未来を信じよう的な映画は見ようと思っても見られなかったなあと思う。宮崎駿自身が、「臆面もなく繁栄する日本を肯定しようという映画だ」と言っていたとどこかに書いてあったが、そういうものが瓦解しつつある2010年から見れば、時代の記念というような意味で意味のある作品だったんじゃないかという気がする。

 

もう一つ、雫が物語を書くのに熱中し、ものを食べなくなったり自信がなくなったり、他のことに構わなくなっていく過程がすごく人ごとではないと思った。これはやったことのある人でないと分からないが、みんなそうなんだなと思う。書きあげた物語をおじいさんに見せるときに「いまここで読んでほしい」と無理なお願いをするところは、全く自分も同じことをしたことがあるので本当に気持ちはよくわかる。

 

そのあと、まだ自分の力不足を感じて勉強するために高校に行かなきゃ、というのはまあ無難な線で収まる展開でよかったよかった反社会的にならなくて、というようなものではあったが、きらきら光る石のうち一つだけが本物で、一番光るものを選んで手にしたらほんとうは醜いものだった、みたいな夢とか、すごくその怖さはよくわかる。あれは、きっと原作者の柊あおいが感じていることをそのまま書いたんじゃないかな。いや、原作を読んでみないと分からないけど。それとも近藤喜文が感じたことなんだろうか。そうかもしれないな。

 

この作品が、若くしてこの世を去った近藤喜文の唯一の監督作品だというのは、ある意味胸に迫るものがある。まだまだやりたかったこと、やりきれなかったことがあっただろうになあと思う。宮崎駿という強烈な個性のもとで勉強にもなっただろうけど思い通りに行かずにストレスをため込んだことも多かったのだろうな。宮崎自身が「彼は私が殺したようなものだ」と言っていたとどこかで読んだけれども。

 

主題歌は「カントリー・ロード」。冒頭がオリビア・ニュートン・ジョンのカヴァーでおしまいがオリジナルの訳詞。一番売れたのはオリビアだと思うが、私はオリジナルのジョン・デンバーとか田中星児が歌っていた日本語歌詞のものも印象が強い。田中が歌っていたのは、なんだかわりと暗い歌詞だった気がする。この映画のおしまいの訳詞は、大変力強い。劇中、地球堂でみんなで合奏する場面が、私はこの映画で一番好きだ。まあどの場面も、わりと好きだけどね。ちょっと『魔女の宅急便』と重なる印象もあるけど、私はこういうものを見て来なかったので、今更ながらいいなと思う。福島正実の少年向けのSFは男の子側からの中学生精神みたいなものでよかったのだけど、女の子側からの中学生精神みたいなものも、いいものだなと思う。

 

ネットで感想などを見てみると、雫のことを中二病だなどと揶揄している記述がかなりあったのだけど、いいじゃないか中二病で、夢見がちで、と思う。その一方で、それだけ夢が持てなくなっている現代という時代をあらわしているのかなあとも思う。

 

まあ先の見えない時代だからこそ、道は平坦ではなくても、明るく前向きに行きたいものだ。

宮崎駿はなぜ無敵なのか

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

 

宮崎駿のインタビューとか、鈴木敏夫のインタビューを読んで、一晩寝て起きて寝起きの頭に啓示のように降りてきたのが、「言いたいこと、あるいは言わなければならないこと(つまり使命とか理想とか)を言うためにやりたいこと(つまりアニメ作りやそれに伴う世界観の開陳や展開、その表現化)がやれている。だから宮崎駿は無敵なのだ」ということだった。

 

私は寝起きの啓示というものを信じている、というかそれに頼っている面がかなりある。一番余計なことを考えていない頭が、一番本質をつかまえると思っている。だから寝起きの自分が捕まえたことが一番価値があると思っているのだ。

 

まあそれはともかく、言いたいことを言うだけではつまらない。自己満足になりがちだ。言いたいことを言っているだけの文章というのは世の中にたくさんあるけれども、それを読んでもあんまりそうだなと思うことは多くないし、また読んでいてそんなに楽しくない。だいたい言ってる方も言っててそんなに楽しくないだろう。ネットでもいろいろと悲憤慷慨したりしている人がいるが、どこか滑稽だ。言ってることが正しかったとしても、説得力がない。

 

楽しいのは言いたいことをいうことではなく、作りたいものを作ること、書きたいものを書くことの方にある。つまり言いたいことの内容をどういう形で表現するかということの方にあるわけだ。しかし作りたいものを作っているだけでは楽しいけれどもそれだけになり、同好の士の間で楽しむおたく的な楽しみの世界に終わってしまう。

 

つくりたいものをつくる中でも、そこに言いたいことが込められているときに、その作品の中に一本筋が通ることになる。そしてそれで食べて行くためには、商業的にも成功しなければならない。記憶で書いているので不確かだが、宮崎駿は作品として取り組むことにゴーを出すためには三つの条件がある、というようなことを言っていた。「それはつくられるべきものか」「それはつくるべきものか」「それは売れるか」という三つの問いにパスすること、だったかと思う。つくられるべきもの、つくるべき社会的意味は何かということをクリアすること、つくるべきもの、今それに取り組むという情熱がかきたてられるものであるという制作者にとってのいわば芸術的意味は何かということをクリアすること、そして売れるものであるか、つまり制作者集団を維持し関わる個々の人一人ひとりを食わせて行くことができるものであるか、ということをクリアすること、の三つだったと思う。(社会的意味、情熱的意味、商業的意味、とまとめるとわかりやすいか)

 

まあ全くもってもっともなことなのだけど、なかなかそれを実現するということは希有なことだ。それがやれてるからスタジオジブリという集団は何か奇跡のような存在なのだけど、その中核にいる宮崎駿という巨大な才能がなぜ成り立っているかというと、やはりそれは言いたいことをもっていて、やりたいことを実現できる技術と能力があって、そしてそれを売るだけの制作者、つまり鈴木敏夫がいるということなのだと思う。

 

ものを作ろうとするものが宮崎から学ぶべきことは本当に多いと思う。ただ今思っていることでいえば、やはり作りたいものを作るだけでなく、言いたいことをもって、それによって作品に一本の筋を通すということ、なぜこの作品が作られなければならないのかということに自覚して取り組むということが特に重要なことだと思った。

 

芝居を書いている友人が、社会主義も資本主義も終わってしまった後でも成立しうる演劇を書く、と病と闘いつつ苦闘している様をときどき某SNSで読むと、そこまで先鋭化して取り組めるということに感動してしまうのだけど、そんなふうに200年くらい先まで見通したような取り組み方、そういう作品を作ろうという意識でやれたらいい、と思いつつ、今のこの時代を乗り切るための力になるような作品を書きたいとも思うし、誰にどんなふうに生きてほしいのか、そんなことを考えつつ作品を書いて行かないといけないなあと思ったりもする。

 

このブログでもそういうようなわけで、何かしらこの現世を乗り切っていくのに役に立ちそうなことを少しでも書けたらいいなと思っていろいろなことを書いているし、書いて行こうと思っている。

 

(この文章は2012年2月15日にFeel in my bonesに掲載したエントリから修正の上転載したものです)