『火垂るの墓』を見た。(その4)『4歳と14歳で、生きようと思った。』どんな時代も、子どもたちは生きて行くのが大変なのだ。
(その3)からの続きです。
少年が独りよがりで妹を死なせ、自分も死んでしまったこと。この兄妹は不幸な恋人たちのようであったこと。そしてこの出来事は、現代にもつながる出来事であること。
ここに来て初めて、彼らは譲れないものがあった、逆に言えば独りよがりであったからこそ美しいのであり、悲しいのであるということが分かる。
この映画は大きく言えば反戦映画に分類されるかもしれないけど、そんな単純なものではないと思う。
どんな時代も、子どもたちは生きていくのが大変なのだ。
「4歳と14歳で、生きようと思った。」というキャッチコピーは、本来的な子どもたちの生きにくさというものをうまく表していると思う。戦争がなければ彼らは幸せだったかもしれないが、彼らの父親は海軍軍人であり、まさに戦争を前提として彼らは生活が成り立っているわけだから、そこはパラドックスに陥ってしまう。
そして確かに戦争というものはないにこしたことはないけれども、なくなることを期待するのは現実には難しいものだし、たとえ戦争が無くなったって、すさまじい自然災害や原発事故のような事故や人災を含めれば、「不幸」が人間の社会からなくなることはないだろう。
その中で人はどう生きればいいのかということを考えると、不幸の真っただ中に突っ込んで行ってもいいから自由に生きろというのはどうかと思うし、そういう選択を迫られないで済んでいる自分たちの「幸運」を感じたり、あるいは「不幸」でない自分たちの幸福を感謝したりすればいいのかという話で済ませるだけでもそんなに面白くはなかろう。
答えはないけれども、自分の生き方、自分の人生というものについてどう考えるか、というところに話を持っていかなければあんまり意味がないだろうし、あるいは生きることが困難になった時に生きる力を引き出すバネになったりするようでなければ、この作品の持つ強烈なインパクトが成仏しないように思う。
いやまあそんなことを考えずにただこの作品の美しさ哀しさを味わえばいいという考え方もなくはないが。
書き終えてみると、改めて放心してしまう。凄い作品であったことだけは間違いない。